[丹羽政善コラム第56回]C.J.・マッカラム――無名大学からリーグ屈指のスコアラーへ
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[丹羽政善コラム第56回]C.J.・マッカラム――無名大学からリーグ屈指のスコアラーへ

低身長、無名大学への進学、大事な時期の故障と、様々な壁をいくつも破り続けてきたポートランド・トレイルブレイザーズの点取り屋、C.J.・マッカラムの半生を辿る

3月20日、ヒューストン・ロケッツに惜敗し、14連勝こそならなかったものの、ポートランド・トレイルブレイザーズはオールスターブレイク以降16勝3敗と好調を維持している(4月2日現在)。柱はやはりデイミアン・リラードだが、チームを影で支えるのがC.J.・マッカラムだ。

大学の頃、デイビッドソン大時代のステフィン・カリー(現ゴールデンステイト・ウォリアーズ)を彷彿させると注目された、生粋のスコアラーである。

NBAデビューの頃は、故障やチーム事情から出場機会が限られたが、3年目になってスターターに定着すると、その年の“最も成長した選手”(MIP賞=Most Improved Player)に選ばれ、以来、1試合平均得点は20点を超える。

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ただ、彼の頭にあるのは、常にチームの勝利だ。その彼のチームはこのところ、プレイオフに駒を進めるも、1回戦を突破するのがやっとの状態。しかし、2月14日~3月18日にかけて13連勝したときは、ウォリアーズを2度破るなど、チームとしての成長をうかがわせた。

ウェスタン・カンファレンスの場合、ロケッツ、ウォリアーズの2強の壁が厚いものの、どこまで上位に食い込めるか。リラードとともに、マッカラムの双肩にチームの命運が託されている。

C.J. McCollum Blazers
2015-16シーズンに球団史上3人目となるMIP賞(最優秀躍進選手賞)を受賞

兄ら年上の選手たちに揉まれた少年時代

C.J.・マッカラムは5歳のとき、「将来の夢は?」と聞かれて、「バスケットボール選手」と答えた。それは多分に、このスポーツに熱中していた3歳半年上の兄、エリック・マッカラムの影響があった。マッカラム自身もこう振り返る。

「もしも兄がいなければ、今の僕はない」。

その兄は、NBA選手にこそなれなかったが、イスラエルのリーグを皮切りに、ギリシャ、中国、トルコのリーグを渡り歩き、今も中国リーグで活躍。2015年には中国リーグで最多となる1試合82得点をマークした。

見方を変えれば、弟にとって兄は格好の道標でもあり、マッカラムはピックアップゲームをするときには、同級生ではなく兄の友達らとプレイした。3歳半のギャップは小さくなかったものの、兄らに揉まれながら、小さな選手が大きな選手に対抗するにはどうすればいいのか、例えば、そこで必要なのはシュート力とクイックネス――ということを自然に身につけ、それが現在の基礎となった。

もっとも、それが報われるのは、もう少し先の話だ。

多くのNBA選手とは異なり、高校に入った頃、マッカラムのことなど誰も知らなかった。それもそのはず、1年のとき、彼の身長はわずか157.5cmしかなかったのだ。当時高校4年生(日本の高校3年)だった兄は、後にNBA入りするコスタ・クーフォスと同じ高校のチームを率いていたが、その兄と比べても、はるかに見劣りした。

体つきも、「針金のよう」と形容されたものの、その後の身長の伸びが凄まじかった。高校2年までに12.7cm、そして高校3年までにさらに10.2cmも身長が伸びた。

もちろん、その程度ではバスケットボール選手としてはまだまだ低い。よって、いわゆる名門大学からの誘いはなく、アクロン大、ボウリング・グリーン大、フェアフィールド大、イースタンミシガン大学など中堅校からの連絡はあったが、そうした大学でさえも、“誰々がダメだったら”というバックアップ要員でしかなかった。

マッカラムの才能を見出したリーハイ大

そんな中で、熱心にスカウトをしていたのがペンシルバニア州ベツレヘムにあるリーハイ大だった。NBA選手を輩出したことはなく、NCAAトーナメントにも3回(1985、1988、2004年)しか出場したことのない無名校で、むしろ学力の高さで知られる大学だったが、マッカラムのポテンシャルを早くから見抜いていた。

当時、リーハイ大バスケットボール部のアシスタントコーチをしていたマット・ロジー氏(現ウィットウォース大ヘッドコーチ)は2008年4月、高校3年生だったマッカラムの試合を見てこうメモに残したという。

「まるで、ステフィン・カリーのようだ」。

その後も彼は毎試合のように足を運び、リクルーティングが本格化する夏になると、他校の動きに目を光らせなければならなかった。だが、実際のところ、「さほど心配する必要はなかった」と振り返る。

「身長180cm程度で、マッチ棒のような体型をしていた彼が、大学バスケットで通用するとは誰も思っていなかった」。

一方で、彼らのリサーチは徹底していた。例えば身長は、「さらに伸びる」という確信があったという。実際、マッカラムの身長は、大学に入ってからさらに伸びるのだが、「彼の兄がそうだったから」と、兄弟のことまで調べていた。

もちろん、先程も触れたように中堅校もスカウトをしていたわけだが、学問において全米屈指の名門校であるリーハイ大は、卒業後のキャリアが有利、という利点をアピールできた。

裏を返すと、「マッカラムの高校の成績はどうか、授業についていけるか」とロジー氏は一抹の不安を覚えたようだが、それも杞憂に終わる。マッカラムは、見事に勉強とスポーツを両立させ、大学ではジャーナリズムを学ぶと、学校新聞の記者をこなし、編集作業にも携わった。今も彼は、自分で記事を様々なメディアに寄稿するほどである。

C.J. McCollum Blazers
リーハイ大3年の2011-12シーズン、NCAAトーナメント1回戦で30得点をあげ強豪デューク大を打ち破る原動力に

ところで、そうしてマッカラムの様々な成長を目の当たりにしてきたロジー氏には、忘れられない夜があるという。ポートランドの地元紙『オレゴニアン』の電子版にこんなエピソードが掲載されている。


2009年12月3日、コロンビア大に敗れた後、マッカラムは人目につかないところで、泣き崩れていたという。それを見つけたロジー氏はそっと声をかけた。するとマッカラムは、その理由を語り始めた。

「4年生に申し訳ない……」。

その日、マッカラムは2得点に終わっていたが、理由はそれではなく、1年生の彼が先発出場することで上級生の誰かはそのチャンスを失う。その誰かの代わりに出たにもかかわらず、期待されるようなパフォーマンスが出来なかった。だから、彼らに申し訳ない――そう説明したという。

そのときロジー氏は、マッカラムの別の一面を知り、「彼の頭にあるのは、常にチームのこと。特別な選手かもしれない」と感じたそうだ。

大学卒業前とキャンプでの怪我を糧に

ただその時点でもまだ、マッカラムの名前は世に知られていない。ロジー氏が初めて見たときに感じたように、「ステフィン・カリーのよう」と認知されるのは、その2年3か月後のことである。

アメリカで4月2日まで行なわれていた今年のNCAAトーナメント(全米大学バスケットボール選手権)で、UMBCという第16シードの無名校が第1シードのバージニア大を破るという衝撃が走ったが、6年前の3月16日にも、マッカラム率いる第15シードのリーハイ大が、第2シードのデューク大を破り、米バスケット界を震撼させた。

この試合で30点をあげたマッカラムは一躍、時の人となり、同時に、大学進学時にバスケットボールの名門校からことごとく無視されたマッカラムの名前が、NBAドラフトの上位指名候補選手として浮上したのだった。

ところが、前例のない道を歩んできた彼のバスケットボール人生には、その後、もうひと波乱あった。

マッカラムは、その年のNBAドラフトにはエントリーせず、もう1年、大学に残ることになった。3年中退時でも十分に1巡目指名される可能性はあったが、彼は卒業を優先したのだ。

その場合、怖いのはケガだった。そして案の定、そのケガを彼はしてしまう。

2013年1月、マッカラムは左の第五中足骨を骨折し、残り3か月のシーズンを棒に振った。幸い、評価は変わらず、その年のドラフトでブレイザーズから1巡目全体10位で指名されたものの、トレーニングキャンプに入ると、同じ箇所を骨折してしまう。さすがにこのときは、相当落ち込んだようだ。

ブレイザーズファンの脳裏にはこのとき、故障を繰り返して消えたかつてのドラフト全体1位指名選手、グレッグ・オデンの悪夢が蘇ったのではないか。

C.J. McCollum Blazers
NBA3年目の2015-16シーズン以降、3年連続で平均20得点を超える得点力を見せつけている

だが、そのことがなければ、おそらく今の彼もない。昨年11月、マッカラムが表紙を飾ったバスケットボール専門誌『SLAM』の特集記事にこんなくだりがあった。

「検査結果を見たとき、隣にいたニール(オルシェイGM)を見て泣いてしまった。1年で2回も? 俺の人生はどうなるんだって」。

すると、そこでGMからかけられたこんな言葉に救われたとマッカラムは語る。

「10年もしたら、こんなことがあったなんて、もう誰も覚えていないだろう」。

マッカラムには輝かしいキャリアが待っている。オルシェイGMはそれを疑わず、マッカラムも気持ちを切り替えることができたのだ。

「このことはもう忘れよう。このことを誰も覚えていないくらい、活躍してやる!」。

あれから4年半以上が経ち、どうなったかといえば、彼は今、まさにそんなキャリアを歩んでいる。今や、ルーキー時代の骨折を覚えている人のほうが少ないだろう。正確なシューティングストローク、芸術的なフローターシュート、リーグでも屈指のスピード――。今、マッカラムでイメージするのは、そんなプレイスタイルだ。

そしてもはや、ステフィン・カリーのようだなどとは誰も言わなくなった。

文:丹羽政善

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